M&Aを検討する際には、対象会社のリーガルリスクを洗い出す作業である法務デューディリジェンス(以下「法務DD」といいます。)が非常に重要です。法務DDは、対象会社のリーガルリスク全般を網羅すべきものであるため、その対象は非常に広範にわたりますが、小規模のM&Aの場合、時間的制約や費用節約のため、網羅的な法務DDを行うことが現実的でない場合もあります。そこで、本記事では、重要度の高い事項に限定した法務DDについて解説をしていきたいと思います。まず、法務DDの中でも特に重要性の高い、最低限抑えておくべき調査対象事項が何かを示したうえで、次に、当該重要事項に関する法務DDの進め方についてご説明します。
1. 法務デューディリジェンス(法務DD)の調査対象事項を限定する際の視点
法務DDの調査対象事項を限定する場合、買主が主観的に重視している事項、類型的に重大なリスクが発生する可能性が高い事項という切り口から限定するとよいでしょう。
下記(1)は、買主が主観的に重視している事項という視点からの限定の方法です。
一方、下記(2)乃至(6)記載の各事項は、類型的に重大なリスクが発生する可能性が高いと考えられる事項です。
(1) 対象会社のどの事業を手に入れたいのか
M&Aにより対象会社を買収する際、買主は、対象会社の一部の事業に着目し、当該事業を対象会社のM&Aを通じて取得することを目的としていることがあります。法務DDの対象事項を限定するならば、買主が対象会社買収の目的としている事業を中心に法務DDを行うということが考えられます。
また、対象会社のいずれの事業についても同程度に重要視している場合には、各事業の売上高、将来性等により重要度に順位をつけた上で、重要度の高い事業を中心に法務DDを行うということも考えられます。
(2) 関係者間取引
対象会社が非公開会社の場合、対象会社の株主及び役員が全て親族であるということもよくあります。この場合、対象会社の株主、役員、その親族又はこれらの者が支配権を有する法人と対象会社との間で様々な取引(このような対象会社とオーナー関係者との間の取引を、以下「関係者間取引」といいます。)が行われていることが頻繁に見られます。このような関係者取引は、オーナー関係者に対する対象会社の利益の移転を目的として行われている場合もあり、その場合には、対象会社にとって不利な内容の取引になっているのが通常です。
このような対象会社にとって不利な取引を予め発見しておくためにも、特に非公開企業の買収の場合には、関係者間取引は法務DDにおいて重要性の高い調査対象事項であるといえるでしょう。
(3) 株式に関する事項
対象会社の買収は、多くの場合、株式の譲渡により行われます。譲渡対象である株式を売主が本当に所有しているのか、譲渡を妨げる事情が存在しないか等の株式に関する事項は、当然法務DDにおいて非常に重要度が高いといえます。
(4) 借入れに関する事項
対象会社が金融機関その他から借入れを行っている場合、対象会社の買収時又は買収前に一括返済される場合を除き、買収後も、対象会社は当該借入れについての返済を継続して行っていかなければなりません。金融機関からの借入れの場合は借入金額が多額であることが多いこと、借入債務はその一部でも支払いを遅延すると借入債務全てについて期限の利益を喪失する等債務不履行が発生した場合の影響が甚大であることから、借入れに関する事項も法務DDにおいて重要度が高いといえるでしょう。
(5) 簿外債務に関する事項
簿外債務とは貸借対照表上に記載されていない債務のことをいいます。対象会社を買収する際の買収価格は、対象会社の貸借対照表を含む財務諸表に記載される情報を基準として決定されます。対象会社を買収後に、対象会社に簿外債務が存在することが判明した場合、買主が対象会社の価値に見合わない高額な買収価格を支払ってしまったということになります。また、買収時に顕在化していなかった簿外債務(偶発債務)が買収後に発生することもあります。このような事態を避けるため、類型的に簿外債務が発生しやすい事項について、重点的に法務DDを行う必要があります。
(6) 紛争に関する事項
対象会社に対して訴訟が提起され、当該訴訟において敗訴した結果多額の賠償金を支払うことになった場合を想定してみましょう。買収時の貸借対照表において訴訟損失引当金等の引当金が計上されていない限り、このような賠償金支払債務は、買収時に算定された対象会社の企業価値を大幅に下落させる要因になります。従って、法務DDにおいては、既に発生している紛争や今後起こり得る紛争の可能性について、慎重に調査を行う必要があります。
このような紛争を原因として発生する債務は簿外債務ですので、上記(5)において説明した内容と重複する点もありますが、紛争に関する事項は、法務DDにとって非常に重要な事項ですので、本記事では簿外債務とは独立して検討を行います。
2. 重要な調査対象事項についての具体的な法務DDの進め方
上記1においては、どのように法務DDの調査対象事項を限定するかについて説明しました。以下では、限定された重要な調査対象事項について、どのような手順で法務DDを行うかについて説明します。
(1) 重要な事業に関する法務DD
まず、対象会社の主要な又は買主が重要視する事業にとって重要な契約、許認可、資産としてどのようなものがあるのかを慎重に確認します。
その上で、重要な契約、許認可及び資産に関して、対象会社の権利が十分に確保されているのか、買収が当該契約、許認可又は資産に悪影響を与えないかを確認します。
(a) 重要な契約
重要な契約の例としては、他の業者からは仕入れを行うことができないような代替性のない仕入先との契約、既存の販売先以外の販売先を見つけることが困難な場合の既存の販売先との契約、他と比べて低廉な仕入価格での仕入れを可能としている仕入先との契約でそれが終了してしまった場合には対象会社の事業の利益率に重大な影響を与えるもの、他と比べて高額な販売価格での販売を可能としている販売先との契約でそれが終了してしまった場合には対象会社の事業の利益率に重大な影響を与えるもの等が考えられます。仕入先には、ソフトウェア開発の委託先やOEMの製造委託先も含めて考えます。
これらの重要な契約については、契約期間が必要な期間をカバーしているのか、契約期間が終了しても自動更新することが想定されているか、契約期間中にもかかわらず相手方から解約される可能性はないか、契約条件が変更される可能性はないか、買収が契約の解除事由又は権利の消滅事由等になっていないか(いわゆるチェンジ・オブ・コントロール条項が規定されていないか)、買収を実行するにあたって必要とされる手続(相手方への通知等)が規定されていないか等をチェックすることにより、買収を実行するに際して、対象会社の権利が十分に確保されているか、買収を妨げる契約条項が存在しないかを確認します。
(b) 不要又は不利な契約
対象会社にとって不要又は不利な契約が存在していないかという観点も重要です。
不要又は不利な契約とは、具体的には、対象会社が事業を行う上で必要性のない契約、契約期間が著しく長く中途解約が認められていない契約、一般的な水準から乖離した対価が設定されている契約、対象会社の権利が著しく制限されている契約等のことをいいます。
上記のような対象会社にとって不要又は不利な契約が存在している場合、当該契約の内容を変更することが可能か、当該契約を解除して異なる取引先と新たに契約を締結することが可能か等を確認する必要があります。
また、法務DDの時点では対象会社にとって不利とはいえない契約であったとしても、買主が買収後に対象会社を使って展開しようとしている事業が制限される条項(事業内容や事業範囲を限定する条項等)が含まれていないかについても、併せて法務DDの段階で確認する必要があります。
(c) 重要な許認可
重要な許認可については、許認可の有効期間はいつまでか、有効期間終了後に許認可を更新するのに障害となる事由はないか(許認可の継続に必要な有資格者が買収により退職する場合等)、事業の継続に必要な許認可について買収ビークルに承継することが可能か又は買収後に新たに取得する必要があるか(特に、事業譲渡による買収の場合)、買収に関連して関係当局に届出等を行う必要がないか等を確認します。
(d) 重要な資産
重要な資産については、当該資産に関して登記等の対抗要件は備えられているか、担保権や譲渡予約等の権利が設定されていないか等を確認します。
(e) 法務DDにおいて問題点を発見した場合
法務DDの過程において、重要な契約、許認可及び資産について対象会社の権利の確保が不十分であること、対象会社のビジネスにとって必ずしも必要とはいえない契約が存在していることが判明した場合、クロージングまでに売主が行うべき義務として、契約の変更又は解除を行うことや資産に関する対抗要件を具備することを買収契約に規定したり、買収の対価を変更すること等を検討する必要があります。また、買収を妨げる事由が発見された場合には、クロージングまでに、売主の責任において関係当事者から契約関係や許認可の承継についての承諾を取得させること等の対応が必要になります。
(2) 関係者間取引に関する法務DD
まず、開示された資料及び売主や対象会社の役員に対するインタビューを通じて関係者間取引を確定します。
関係者間取引は、上記2(1)(b)において説明した、対象会社にとって不要又は不利な契約に該当する可能性が類型的に高いといえます。従って、原則として、クロージング前に関係者間取引は全て終了させておく必要があります。なお、開示された資料やインタビューだけでは全ての関係者間取引を把握することが困難な場合も想定されます。このような場合に備え、買収契約において、買主に開示されたもの以外に関係者間取引が存在しないこと、関係者間取引がクロージングまでに全て終了されたこと等を確認する表明保証条項を盛り込んでおくべきです。
(3) 株式に関する法務DD
(a) 売主が真正な株主であることの確認
特に買収が株式譲渡の方法による場合には、売主が対象会社の真正な株主であることを慎重に確認する必要があります。
売主が譲渡対象株式の全てを保有していることを、最新の株主名簿により確認するのが通常の方法ですが、中小企業のM&Aの場合、株主名簿を作成していないことも少なくありません。この場合には、株主名簿以外の資料から確認をするしかありません。原始定款、株式譲渡承認に関する議事録、確定申告書の別表(同族会社等の判定に関する明細書)等により、設立から現在に至るまでの株式の異動を全て確認していくことになります。
なお、上記のような確認作業を行っても売主が譲渡対象株式の全てを保有している真正な株主であるか確信が持てない場合には、真正な株主が他に存在することが判明した場合の紛争リスクを避けるため、株式譲渡ではなく、紛争リスクがより低い別の買収スキーム(無効訴訟の提訴期間が限定されている会社分割等の組織再編行為を利用するスキーム等)も選択肢の一つとして検討すべきでしょう。
(b) 株式の譲渡に必要な手続
株式の譲渡に必要な手続についても確認が必要です。株式に譲渡制限がついているのか、株券が発行されているのか等により、株式の譲渡の際に必要な手続が異なります。
どのような手続が必要かを確定したら、次は、買収契約に当該手続が適切に行われるための規定を盛り込んでいきます。例えば株券不発行の株式会社の譲渡制限株式を買い受ける場合、株主総会(取締役会設置会社の場合は取締役会)の譲渡承認手続が必要になります(会社法第136条及び第139条)。買収契約では、譲渡承認手続が完了していること及びその議事録の提出をクロージングの前提条件として規定します。
(c) 潜在株式等の確認
新株予約権等の潜在株式が発行されている場合、対象会社買収後にその権利が行使されることにより、買主の対象会社に関する持株比率が低下します。このような事態を避けるため、法務DDにおいて、潜在的株式が発行されていないかを確認する必要があります。新株予約権を発行した場合、新株予約権に関する事項は登記事項とされていますので(会社法第911条第3項第12号)、対象会社の登記簿により発行状況を確認することができます。また、新株予約権を発行した場合、会社は新株予約権原簿を作成する義務がありますので(会社法第249条)、新株予約権原簿により発行状況を確認することもできます。
なお、新株予約権が発行されていても、登記が未了であったり、新株予約権原簿を作成していない場合もあります。また、新株予約権が発行されていなくても、新株予約権の付与を契約等により合意している場合もあります。これらの場合に備えて、対象会社の議事録の内容や新株予約権付与の約束が規定されている可能性がある契約書(役職員との間の契約、業務提携や資本提携に関する契約等)のレビュ―、法務DDの過程で行われるQ&Aやインタビューを通じて、潜在的株式やその発行を約束する合意の有無について確認する必要があります。
(4) 借入れに関する法務DD
まずは、誰からいくら借入れを行っているかを把握することが重要です。通常、対象会社の財務諸表や確定申告書等の資料をもとに確定していきます。
次に、各借入れの条件を確認します。これは、各借入れに係る金銭消費貸借契約書等をレビューすることにより行います。このレビューにおいては、①株主の異動が禁止されていないか、株主の異動が債務不履行事由や期限の利益喪失事由になっていないか(いわゆるチェンジ・オブ・コントロール条項が規定されていないか)、②任意の期限前弁済が許容されているか、③利息や借入条件が対象会社のビジネスにとって合理的なものか等が特に重要な確認事項となります。①については、買収そのものを妨げる要因となりますし、②については、買主が買収後に③で確認した借入条件よりも有利な条件で他の金融機関から借換えを予定している場合に、当該借換えを妨げる要因になるからです。
(5) 簿外債務に関する法務DD
類型的に簿外債務が発生しやすい事項としては、時間外労働手当の未払い、退職給付引当金に計上されていない退職金給付義務、支払時期未到来の賞与給付義務等の人事労務に関連する債務、保証債務、デリバティブ取引、製造物責任に発展しそうな顧客からのクレーム、訴訟等の紛争等が挙げられます。
これらの事項については、会計デューディリジェンスの範囲となるものもありますが、人事労務に関連する債務、顧客からのクレーム及び紛争については法務DDの対象とされるのが通常です。このような法務DDの検討対象事項については、対象会社の議事録や社内報告書類のレビュ―、対象会社の役職員に対するインタビューを通じて、また、人事労務に関連する債務については就業規則等の社内規程のレビュ―も踏まえて、簿外債務が存在しないか、将来対象会社が債務を負うこととなる原因が存在しないかを慎重に検討する必要があります。
(6) 紛争に関する法務DD
紛争については、法務DDの時点で裁判所に継続している訴訟等の既に顕在化しているもののみならず、将来起こり得る対象会社を当事者とする紛争についての分析も必要です。
現に顕在化している紛争については、訴訟記録のレビュ―、対象会社の役職員に対するインタビューを通じて、今後の見通しを分析します。
一方で、顕在化していない紛争については、対象会社の事業内容を正確に把握し、その事業内容から類型的に紛争になりやすい事項について重点的に分析及び調査を行います。顕在化していない紛争ですので、調査方法は対象会社の役員や事業担当者に対するインタビュー等に限定されてしまいますが、これまでの顧客からのクレーム内容を慎重に分析することにより、どのような紛争が起こりやすいか一定の予測がつくこともあるでしょう。また、直近で解雇が行われている場合には、人事労務に関連する紛争の可能性が存在するため、どのような経緯で解雇が行われたのか等について、慎重に検討する必要があります。
3. さいごに
本記事では、調査対象事項を限定した法務DDについて、調査対象事項を限定する際の視点と、重要な調査対象事項に関する法務DDの進め方について解説しました。
もちろん、本記事に記載される事項だけを調査していれば法務DDとして必要十分であるというわけではありません。個別の取引における具体的事情によっては、他にも法務DDの調査対象として重視すべき事項がありうることをご留意ください。実際にM&Aを行う際には、M&Aに関する経験が豊富な弁護士に相談されることをお勧めします。
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